[視線恐怖症|脇見恐怖症]自分を責める、べき思考•完璧主義を手放すには?【5選】
どうも、こんにちはWaReKaRaゼミ代表のザッキーです。
今日は脇見恐怖症を改善する上で大事な「〜すべき思考の手放し」「完璧主義の緩め方」について話していきます。
脇見恐怖症とは自分の視界に入る人を見ることに対して、その人に不快な思いをさせてしまうのではないかと、強い不安や罪悪感を感じてしまう恐怖症のことです。
あなたは自分の視線をコントロールできずに
「見てはいけないのに見てしまって、自分はダメだ…」
「お互い目を合わせて話すべきだけど、自分の視線で迷惑をかけてしまうから怖い…」
と罪悪感や自責でしんどくなることはありませんか?
実際ザッキーも過去に、自分の視線に関してすごく悩んできたので、こういった思考になってしまうのはよくわかります。
今日はそんな悩みの根本にある
「〜すべき」
「〜しなければならない」
という「べき思考」や、「絶対にこうじゃないといけない」というように過剰に完璧を目指す「完璧主義」を手放す方法をお伝えしていきます。
この記事を読むことで
・脇見恐怖症の人
・なんとなく自分の視線が相手に伝わって迷惑をかけているんじゃないかと不安になっている人
・他人から自分の目つきや視線について陰口を言われているような気がして不安になっている人
などが、不安を手放して生きていくためのきっかけにすることができます。
僕はふだんカウンセラーとして毎日さまざまな人たちのご相談に乗っていて、また悩みを抱えている人たちのWaReKaRaゼミというコミュニティも運営することで多くの人たちと関わっています。
僕自身が元々脇見恐怖症で悩んでいたこともあり、視線に関する悩みを抱えている方のご相談に乗ることも多いです。
今回はそんな日々のやり取りの中で、脇見恐怖症の人の悩みの根本に「べき思考」や「完璧主義」があることがわかりました。
こういった思考は無意識の部分の価値観なので、自分ではなかなか気づきにくいですが、今回の記事を読んで「自分はどうかな?」と客観視することで、「べき思考」や「完璧主義」を緩めていくことができます。
ぜひ最後までご覧になってください。
〜目次〜
視線の悩みと「べき思考」や完璧主義の関係とは?
視線に悩んでいる時に「〜すべき」や完璧主義的な思考になって悩んでしまう人は多いです。
例えば
デスクワークなどの目の前の仕事に集中したいのに、前の席の人や隣の人、斜め前の人が気になって、仕事に集中できない。
そんな時、
「仕事に集中すべきなのに、なんて自分はだめなんだ」
「周りの人に迷惑をかけてはいけないのに、自分はなんてだめなんだ」
と自分を責めてしまいます。
仕事に集中したいという気持ちは誰しも持っていますが、脇見恐怖症で悩んでいる人は「周りに迷惑をかけるべきではない」などの「べき思考」が根本にあって、自分を責めてしまうのでさらに悩んでしまうのです。
「他人と比べてできていない自分」に対して、「普通であるべきなのに」という感覚が根本にあって自分を責めてしまいます。
つまり、ただ「自分の視線」が原因で悩んでいるのではなく、根底に「こうであるべき」という価値観があって「それなのにできていない自分はダメ」という感覚があるから悩んでいると言えます。
自分が心から「〜したい」ことではなく、
「〜すべき」という「社会的にどうなのか、他人から見てどうなのか」「周りと比べて自分は普通かどうか」ということを過剰に気にしているような状態です。
言葉では「集中したいのに〜できない」と言っているけど、
無意識の中で「集中すべきなのに」「会社では集中しないといけないのに」と過度に考えて、できていない自分はだめだと責めているような感じです。
「他人の視線が気になる」場合の例で言うと、
飲み会など、みんなで楽しむコミュニケーションの場所で周りの視線が気になって、本気で楽しめない。
そんな時、
「笑顔を作るべきなのに、なんで自分はうまく笑えないんだ…」
「目の前の人の話に集中すべきなのに、周りを気にしている自分はなんてだめなんだ…」
というふうに集中できない自分が許せない状態になって、いつも神経をすり減らしてしまうのです。
この事例も「自分が心から楽しみたい」「笑いたい」というよりも
「飲み会では周りに合わせて楽しむべき」「笑顔でリアクションすべき」などの価値観が根底にあって、それができていない自分を責めてしまっているという状態ですね。
また、このように「べき」思考で悩んでいるのに、そこに対してさらに
「迷惑がかかるから弱みや悩みを話すべきでない」と悩みを一人で抱えて、自分が自分に対して完璧主義で厳しくしすぎているだけだということにも気づけず症状にずっと悩み続けてしまうのです。
こんなふうに一人で抱えて、さらに自分に厳しくなって完璧主義を強めてしまいます。
「べき思考」や完璧主義が強くなる原因とは?
では、なぜ「〜すべき」だと考える癖や、完璧主義的思考になってしまうのでしょうか。
それは家庭や周囲の環境などの影響です
特に、親との関係性や体験が大きいです。
一つは、怒られた体験です。
「親の言うことを聞かなくて怒られた」という体験が多かったり、強く印象に残っていると、怒られないために自分を守るようになります。
「親の言うことは聞くべき」ということを意識しすぎて、あらゆることに対して「すべき思考」が身についていきます。
また、条件付きの愛で育ったというも多いです。
テストができた時や何かができたときだけいい子と褒めれ、努力を評価されず、結果や成果のみで評価されるような家庭の場合です。
このような家庭で育つと、ちょっとしたミスにも過剰に落ち込み、無価値感を感じてしまって、完璧主義になりやすいです。
また、承認欲求が強くなってしまい、周囲から認められるためだけに頑張ってしまいます。
他人からの承認がないと、自分の価値を感じられない
という感覚になって、人に褒めてもらえる完璧な自分を作り上げることに注力するようになります。
できない自分を認められずに、「自分はまだまだ不十分で、今のままではいけない」という信念が作られてしまうのです。
また兄弟関係で例えば「頼れる兄」としての役割をこなすことが求められたり、
一人っ子だとしても家で一人で過ごすことが多くて家事も自分でちゃんとこなさないといけなかったり、真面目な性格や責任感を求められた、という場合もあります。
引き受けたことは完璧にこなさないと自分自身が納得できない、他人に迷惑をかけてはいけないと過剰に思いすぎてしんどくなってしまうことも多いです。
他にも学校などのコミュニティ、ニュース、SNS等で触れる情報からも「べき思考」が植え付けられていくこともあります。
集団や社会で良しとされていることを強く守ろうとします。
特に学校では「周りがやっているから自分も〜すべきだ」「ルールを守るべきだ」と過剰に気にしてしまうパターンも多いです。
また、いじめられた経験の中で、周囲から攻撃されたり指摘されたりした時に
「〜すべきなのにできていないから自分はいじめられるんだ」と、周りからの攻撃によって「すべき思考」が生まれることもあります。
その「〜すべき」に従わなかったら嫌われたりキレられたりすることがあるため、そこから自分を守るための幼少期のころの生き残り戦略でもあります。
当時の生き残り戦略を、成長した今でもずっと抱えてしまっているんです。
このようにさまざまな要因が考えられます。これらは一つだけではなく、複数絡んでいることも多いです。まず自分が「すべき思考」になった要因に気づくだけでも、気持ちがスッキリできます。
また、思い返してみてもこれらの理由に当てはまらない人もいるかもしれません。
もし当てはまらなくても安心してほしいです。「当てはまらないから自分はおかしい」などとは思わなくて大丈夫です。
そのような人は無理に原因を探す必要はありません。原因探しはほどほどにしておきましょう。
「すべき思考」「完璧主義」の手放し方 5選
では、このように視線に関する悩みの根底にあり、幼少期からの経験によって育ってきた「すべき思考」や「完璧主義」を手放していくにはどうしたら良いでしょうか?
色々な方法がありますが、今回は5つにまとめて、考え方や行動をお伝えしていきます。
①60点を受け入れる
視線で悩んでしまう方は
「相手の目を見るべきなのに、周りやその人が気になって見ることができない」
「黒板を見るべきなのに、周りが気になって顔をあげることができない」
「みんなと楽しまないといけないのに、自分が楽しめてないのは良くない」
というように「〜すべきなのに、視線が気になってできない」といった葛藤をかかえて悩んでいる人が多いです。
このような葛藤が発生するとき、0か100か、白か黒か、正しいか正しくないかと二極的な考え方になってしまっています。
たとえばデスクワークで一日作業している中で一分でも周りが気になってしまうと、
「あー、今日も気になってしまった…もうだめだ…」と考えてしまったり、
隣の人が少しでも動いたり、頭をかかえたりすると、「あー、やっぱり迷惑かけてしまったんだ…」と考えます。
一日を通してほとんどなにもない時間をすごしていたとしても、その中で一分でも少しでもなにか変化があったら、その変化をもとに一日全体を評価してしまいます。
そんな方は少し楽天的な思考で過ごしてみてほしいです。
「すこしくらい気になっても、いままで悩んできたんだから仕方ないよね」
「努力しようとしているんだから怠けているわけじゃないし、自分は頑張ってはいる。全部がうまくいくかは、環境や相手次第だしわからないよね」
「すこしは集中できたらいいかな」
「しょうがないしょうがない」
こんな感じで少しいい加減な気持ちでOKです。
「100点以外はダメ」という完璧主義から「60点以上ならOK」という最善主義を目指していきましょう。
②正しさを一つに絞らない
「相手の目を見て話さないといけない」
「授業中は顔をあげないといけない」
「いつも楽しまないといけない」
「周りの人を意識してはいけない」
このように「こうであるべき」「こうでなければならない」と思っていることは、そもそも誰が言っていたことでしょうか?
両親に言われたことかもしれないし、学校の先生や上司、仕事、友達、いじめてきた相手に言われたことかもしれません。
思い出せないくらい、とっくの昔に言われたことかもしれません。
でも、それらのことは、実際に必ずしもやってはいけないことではないかもしれません。
法律やルールで決められていることならまだしも、その「〜べき」は自分で勝手に思い込んでいることではありませんか?
絶対に守らないといけないことというのは、実はそんなに無いです。絶対的な正しさや正解は一つじゃないんです。
環境や基準が変われば正しさも正解も変わるし、その場面で正しいとされるものも、場面が変わればひっくり返ります。
例えば、「目を見て話さないといけない」というのも、絶対ではないです。国によっても、相手によっても正解は変わりますよね。
また、「こうすべき」と思っていることができなかったとしても、大きな問題は起こらないことの方が多いです。
目を合わせることでより意思疎通はできるかもしれませんが、目を見ないとコミュニケーションが成立しないわけではないですよね。目を見なくてもコミュニケーションは取れますし、相槌や身振り手振りなどが自然な人であればそれだけでも良好なコミュニケーションはとれるんです。
「授業中顔をあげないといけない」としても、ずっと顔を上げ続けないといけないわけではないです。あげてもいいし、下を向いていてもいいんです。
授業の後に自分で内容を整理して先生に聞いても良いんです。
視線がしんどいのに無理をして顔を上げないといけないと思うんじゃなくて、先生に言って席を変えてもらったり、協力を求めてもいいかもしれませんね。
そもそも顔をあげてはいけないなんて誰も言ってないんです。
意識してはいけないというのも誰が言ったことでしょうか?
別に意識してもいいんです。
そもそも周りを意識してない人っているんでしょうか。
前や隣にいれば気になってしまうのは当然です。
迷惑だと思うかどうかは相手次第ですし、自分には相手の心のうちをどうにかすることなんてできません。
自分の中の正しさや、正解としているルールに縛られていませんか?
コミュニケーション、人前での発表、視線の向け方、仕事、恋愛、生き方などさまざまなことに対して、この世には正しさも正解も存在しません。
「自分は間違いで、周りの人たちは正解。自分は正解で、周りの人たちは間違い」そのようなものを追いかけて、そこに縛られると自分を苦しめてしまいます。
自分を「正しい/間違ってる」のモノサシとジャッジから解放して、自由に楽しく自分が好きな選択をしていくことが大切です。
ジャッジする世界から抜け出して、自分で選択していきましょう
③自分と異なる価値観の人と関わる、話す
昔、僕が視線や脇見の悩みを人に話した時に、
「人を見てはいけないってどうして?」
「べつに意識してもよくない?」
「別に悪いことしていないよね」
と、言われたことがありました。
自分では「絶対見てはいけない」と禁止していたので、そう言われた時にはびっくりした感覚になりました。
これは特定の一人に言われただけでなく、複数の人から言われたんです。
また友達からは「自分はキレイな人がいたらむしろ意識して見ちゃってるけどな(笑)」と言われて思わず笑ったこともありました。
言われてみたら、別に脇見することは何もおかしくないんですよね。
自分で自分をしばりすぎていたのだとわかりました。
このように自分と異なる価値観を持つ人と関わると、今まで当然だと思っていた考え方が壊されます。
できれば一人ではなく複数の人と関わってみてください。
またその複数人も友達、家族、職場の人など、属性も年齢もさまざまであるとなお良いです。
完璧主義になってしまう人はあえて楽観的な人と関わってるというように、違う価値観の人と関わってみることをおすすめします。
いろんな人の価値観を知り、柔軟な考え方ができるようになればなるほど「べき思考」は崩れていくのです。
④自分にやさしい言葉かけをする
いつも責めてしまいがちな自分に対して、誰よりもいたわりの言葉をかけてあげてみてください。
例えば、
「いつも自分は頑張ってはいる」
「仕方ないよね」
「いまはもう誰かに言われることはないから大丈夫だよ」
「他人は他人、自分は自分」
「今日もお疲れ様」
こんなふうに自分が誰かに言われたらラクになりそうな言葉を、自分で自分に言ってあげましょう。
ちょっと気恥ずかしいですが、試しに言ってみると心がじんわり暖かくなってきますし、「〜すべき」というような凝り固まった信念が少しゆるんできます。
また
「絶対」
「ふつうは」
「いつも」
「〜しなければいけない」
などの言葉がでてきそうなときには
「なるべく」
「できれば
「そういうときもある」
「まあいっか」
という風に言うことを意識してみてください。
言葉を変えるだけでも心がラクになれます。
⑤「自分はどうしたいのか」で考えてみる
「〜すべき」、「しなければならない」という考えにとらわれたり、完璧主義になったりしているときは、
自分がどうしたいかよりも、
「他人はどう見ているのか」
「全体の中で自分はどうなのか」
「周りから見て迷惑じゃないのか」
と、自分主体ではなく周りに振り回されている状態です。
先ほどの原因で説明したように、「〜すべき」と意識してしまった過去の傷つき体験をずっと引きずってしまっている人もいます。
「周りに合わせないといけない」「相手の機嫌をそこねてはいけない」と考えるような自分を、まず、
「そこまで思わなくて大丈夫だよ」「あのときは仕方なかったよね」
と自分に優しく許してあげてみてください。
自分に優しく癒やしていくことから始まります。
そして「周りがどうか」より、「自分がまずどうしたいのか」と考えてみるようにしましょう。
「〜すべき」ではなく「〜したい」で考えることが大事です。
最初は難しいかもしれませんが、自分はこの場でどうしたいのかということや、自分の感情がワクワクすること、目的を考えてみてください。
今、考えすぎてしまっているあなたは、少し自己中になるくらいでOKです。
気になったら見てもいいし、確認してもいいんです。無理に元気に振る舞う必要もありません。
相手がどうかより、自分はいまどうしたいのかで考えてみましょう。
おわりに
今回は「すべき」思考、完璧主義に悩んでしまう人、特に脇見や視線に悩む人に向けたお話をさせていただきました。
そして、そのような思考を手放していく方法として
①60点を受け入れる
②正しさを一つに絞らない
③自分と異なる価値観の人と関わる、話す
④自分にやさしい言葉かけをする
⑤自分がどうしたいのか考えてみる
この5つを紹介させていただきました。
取り組めそうなところからやってみてください。
「話の内容はわかったけど一人では難しそう」という方もいらっしゃると思います。そういう方はカウンセリングを利用してみることをオススメします。
モヤモヤしたことをカウンセラーに話して言語化するだけでも気持ちが晴れたり、自分のなかの原因を把握できたり、それぞれの悩みに応じた対策についても知ることができると思います。
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将来的には配信をストップするか有料に切り替える可能性も高いので、この機会にぜひお受け取りください^^
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